会津絵ろうそく 南天福寿 5号(約15cm) 2本
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会津絵ろうそくについて 会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。 江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれています 大きさ  5号 約15cm 広告文責 ドラッグエナジー 0242-85-7380「会津絵ろうそく」について     会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。 江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったと言われています  絵ろうそくまつり 会津若松のシンボルである鶴ヶ城と会津藩主の松平氏庭園、御薬園などに、約7,000本のろうそくが灯ります。 雪の中、淡くはかない炎が生みだす幻想的な美しく、毎年2月に行われております。 会津伝統工芸品の1つである、「会津絵ろうそく」。1本1本に菊、牡丹、藤などの季節の草花が色鮮やかに描かれている色鮮やかな会津絵ろうそくの製造工程は、芯づくりにはじまり、蝋かけ、かんなかけ、 手磨き、絵かき、上がけ、芯だし、串ぬき、とすべてが手作業で行なわれています。 1本1本に職人技が感じられる会津絵ろうそくを皆さんに知って頂こうと、このまつりを開催する運びとなりました。 1回目の絵ろうそくまつりがみぞれの降る御薬園で行なわれました。始まって30分が過ぎようとする頃、会場で誘導係りをしていたボランティアスタッフの1人がいつまでも列が途切れないことを不審に思いました。仕事を代わってもらい、入口にたどり着いたスタッフの目の前には入場を待つ傘の列がずらりと並んでいました。入場客の方々は、小さな子供さんからご年輩の方までとても幅広く、皆さんに初回から大好評をいただき、毎年開催する恒例行事となりました。 やわらかく、あたたかい絵ろうそくの光。職人の真心がろうそくに込められ、さらに私たちの心まで明るくやさしく照らします。 ※写真は絵ろうそく実行委員会より

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